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 全国新作花火競技大会の歴史

第1回(1983年・昭和58年)9月14日(水)
日本交通公社(現:株式会社 ジェイティービー)の協力を得て、第4回 杜の賑い「諏訪明神ふるさと祭り」の宵まつりで花火が打ち上げられたのが最初。時間は15分程度。祭りは2日間行われ、翌日の本祭りでは長持ち・みこし・仮面おどり・お蔵舟曳行・宝投げや、ミス諏訪湖コンテストなどが開催された。


第2回(1984年・昭和59年)9月14日(金)
第5回 杜の賑い「諏訪明神ふるさと祭り」の宵祭りとして、日本煙火芸術協会員約30社が参加して行われ、新作花火を発表。打ち上げ時間も1時間程になり、表彰式も行われた。


第3回(1985年・昭和60年)9月14日(土)
前回同様、第6回 杜の賑い「諏訪明神ふるさと祭り」の宵祭りとして、日本煙火芸術協会員30社が参加して、新作花火を競演した。これ以後定着していく。
翌日の本祭りのステージには、カナダよりつくば科学万博の公演のため来日していた「K・D・ラング」が特別ゲストとして登場した。


第4回(1986年・昭和61年)9月14日(日)
第7回 杜の賑い「諏訪明神ふるさと祭り」から「諏訪よいてこ」と名称を新たに開催。
花火の前にはジョージ川口と御諏訪太鼓保存会の小口大八氏がエキサイティングドラムサミットで競演。新作花火22セットが宵祭りのラストを飾った。


第5回(1987年・昭和62年)9月14日(月)
第8回 杜の賑い「諏訪よいてこ」において、待望の音頭と踊りが完成。
森水女さん、宮坂寿子さんらが「諏訪よいてこ音頭」を披露とエキサイティングドラムサミットに続き、最後は全国の煙火師二十六人が湖上の夜空で新作花火の競演が行われた。
諏訪での「杜の賑い」の開催が今年で5年連続と全国最多となった年でもあった。


第6回(1988年・昭和63年)9月14日(水)
第9回 杜の賑い「諏訪よいてこ」では、森水女の歌声や御諏訪太鼓、シンセサイザーなどの演奏が行われ祭りを盛り上げ、締めくくりには恒例となってきた全国の二十四人の煙火師による新作花火発表を含む競演があり、初秋の夜空を染めた。


第7回(1989年・平成元年)9月10日(日)
第10回 杜の賑い「諏訪よいてこ」の開催日が9月の第2日曜日に変更になり(現在は7月に開催)、昨年まで宵祭り・本祭りと2日間行われていた日程を1日にして中身の濃い祭りを開催。第1回の祭りから使われてきたお蔵舟を焼却した。
フィナーレには日本煙火芸術協会会員二十四社が一社5発ずつ新作花火を打ち上げ祭りの最後を飾った。


第8回(1990年・平成2年)9月9日(日)
これまで杜の賑い「諏訪よいてこ」において行われていた花火大会が、杜の賑い「JTB新作花火大会」として独立した花火大会となる。
一方で、「諏訪よいてこ」はJR上諏訪駅西側の整備が進み、「諏訪よいてこ」の会場の一部が並木通りから広々とした柳並線に変わったこともあり、これまで以上に賑やかになった。


第9回(1991年・平成3年)9月8日(日)
「杜の賑い」のJTBオリジナルイベントとして「諏訪よいてこ」の翌日に第2回「JTB新作花火大会」が開催された。台風15号の影響もあり、生憎の雨模様の中での打ち上げとなったが、湖畔には多くの観客が訪れた。


第10回(1992年・平成4年)9月6日(日)
JTBオリジナルイベントとして、諏訪市の諏訪湖畔で「杜の賑い 諏訪」と新作花火大会を開催した。10年連続で開催された「杜の賑い」は今回で最後となった。
この頃から花火見物の観客が増え、路上駐車などの問題が出てきた。


第11回(1993年・平成5年)9月5日(日)
今回より花火大会単独の開催となる。
また、大会翌日には参加した全国の若手花火師二十六人や評論家・写真家が集まり、花火の将来像などについて討論する「花火サミットin諏訪湖93」が行われた。


第12回(1994年・平成6年)9月4日(日)
大会名が「花火サミットin諏訪湖 新作花火大会」となる。
第1部では「花火と写真」をテーマとした講演会、第2部が花火大会の2部構成で開催され、フォトコンテストも開催された。
この頃から現在の形式の若手花火師が参加し、花火の打ち上げにもタイトルとイメージ文、イメージソングが付けられ、工夫を凝らした打ち上げが披露された。
年々人気が高まり観客が増えてきたため、ホテル紅や前からD51前までが交通規制のため車両通行止めとなり、ヨットハーバー、諏訪市文化センターが臨時駐車場として開放された。


第13回(1995年・平成7年)9月3日(日)
昨年に続き、新技術や芸術性を競う「花火サミットin諏訪湖 第13回新作花火大会」が2部構成で開催、“光と音の世界”が演出された。競技花火では各花火師が五号一発、七号三発、十号一発の計五発で、競技途中には新作のスターマインも打ち上げられた。
8月15日に開催される諏訪湖祭湖上花火大会よりも落ち着いて観覧できると、観客も増加。


第14回(1996年・平成8年)9月1日(日)
大会名が、現在の「全国新作花火競技大会」(花火サミットin諏訪湖96)となる。
競技花火ではイメージ曲とともに、十号玉二発、七号玉三発が打ち上げられた。また、競技大会としての格付けのため、新たに関東通商産業局長賞、長野県知事賞を新設した。
AMラジオによる実況中継もあった。


第15回(1997年・平成9年)9月7日(日)19:00~20:15
第15回全国新作花火競技大会(花火サミットin諏訪湖97)では、「花火情報の発信基地」を目指す取り組みがスタートした。花火打ち上げには、初島を中心とする6基の仮設打ち上げ台が使用され、「星空のメッセージ」をテーマとして38セット、1万発の新作花火が全国30人の煙火師により打ち上げられ、約25万人の観客を魅了した。また、昨年に続いて表彰が三賞から七賞に拡大された。LCV株式会社が、通信衛星で全国のCATV135局に中継。約100局で生放送された。「水上スターマイン Kiss of Fire」がプログラムに登場し、フィナーレのエール交換が行われた。また、花火大会の次の日の朝に行われる、市民によるボランティア清掃が本格的に始まった。湖周線の温泉植物園前(現:諏訪警察署)からD51機関車前までの間が交通規制となった。


第16回(1998年・平成10年)9月7日(日)19:00~20:30
姉妹都市、神奈川県秦野市から借りた高さ4メートルほどもある「ジャンボ火起こし器」で火種をつくり、開幕花火に点火して花火大会がスタート。
この年に開催された長野冬季五輪を再現した花火の打ち上げや、今大会より全国から女性花火師5人が参加し、5号玉5発を打ち上げるエキシビジョンマッチが行われた(女性花火師は第22回まで参加)。新作花火のパンフレットが1部200円で駅前観光案内所や市内コンビニなどで販売された。


第17回(1999年・平成11年)9月5日(日)19:00~20:30
競技花火の合間に打ち上げられるスターマイン7セットの内容を充実させた。
この年に大ブームとなった「だんご3兄弟」をイメージした花火も打ち上げられた。
打ち上げ数は42セット、15,000発。


第18回(2000年・平成12年)9月3日(日)19:00~20:30
“花火サミットin諏訪湖”の名称がなくなり、大会名が現在の「全国新作花火競技大会」になる(主催の実行委員会の名称も“新作花火大会実行委員会”となる)。
「フラワー」や「桜坂」などミリオンセラーを記録した曲をイメージした花火が、41セット、1万5,000発打ち上げられた。女性花火師の登竜門ともなるエキシビジョンマッチは4人が参加し、従来の5号玉の打ち上げに加え、新たに7号玉の挑戦もあった。


第19回(2001年・平成13年)9月2日(日)19:00~20:45
今大会から石彫公園内が有料自由席として販売された。3歳以上一人1,000円。
また、質の向上を狙いにエントリー権を設定し、次回以降は大会の成績を考慮した選出を行っていくことになった。
打ち上げ数が17,000発に増えた分、終了時間が15分延長となった。
また、他地域での花火大会の事故を教訓に、警備を増強するなど安全対策に万全を期すとともに、JR上諏訪駅の駅西側(諏訪湖側)に臨時改札口が開設され、
観客動員数は約30万人。


第20回(2002年・平成14年)9月1日(日)
天候にも恵まれ、観客動員数は約30万人。予算総額は4,372万円。
この年の実行委員会で、大会の人気が高まり、遠方からの観客が増えていることや、翌日月曜早朝の湖畔清掃の人員確保がむずかしいことから、開催日を日曜日から土曜日へ変更する提案がされた。
一方、花火見物の車両で周辺の道路は深夜まで込み合った。


第21回(2003年・平成15年)9月7日(日)
打ち上げ数は43セット、「真夏の夜の夢」「地上の星」などをイメージして約18,000発が打ち上げられた。有料自由席の金額が、大人1,500円・小人1,000円(3歳以上小学生まで)に値上げされた。
本大会の協賛金は2,408万円が寄せられ、大会の安全確保のために昨年よりもガードマンを21人増員して140人体制で警備にあたった。また、交通規制の対象エリアも湖周線の温泉植物園前からヨットハーバー前まで拡大された(これまでは温泉植物園からD51機関車前まで)。大会の事業費は約5,379万円。
観覧客数は30万人。
8月1日から約一ヵ月間毎日花火が上がる「サマーナイトファイヤーフェスティバル(SFF)」が開始された。


第22回(2004年・平成16年)9月4日(土)
雨天の中での開催。
今大会より開催日を9月第一日曜日から9月第一土曜日に変更。翌日の日曜日は、サマーナイトファイヤーフェスティバルの最終日となった。打ち上げ数は43セット、17,000発。
「世界にひとつだけの花」「さくら」などをイメージした花火が打ち上げられた。
なお、本大会より経済産業大臣賞を授与していただけることとなった。


第23回(2005年・平成17年)9月3日(土)
昨年に続いて、雨天の中での開催。
今大会より女性花火師によるエキシビジョンマッチは行われず、また1競技当たりの打ち上げも現在の5号玉5発と10号玉2発の計7発に変更された。打ち上げ数は37セット、17,000発。
前回が雨天での開催だったためプログラムに掲載する写真が撮影できず、これまで有料で販売していたプログラムを無料で配布した。


第24回(2006年・平成18年)9月2日(土)
7月の豪雨災害で開催が心配されたが、予定通り開催された。
大会の人気の高まりにより、今大会から従来の現地での前売・当日販売に加え、電話・FAX・インターネットでの有料自由席の予約販売を開始した。打ち上げ数は37セット、17,000発。観覧客の増加に伴い、交通規制の時間帯が午後5時から午後11時に延長された(それまでは午後6時から午後10時)。
ガードマンやトイレ設置数の増などにより、有料自由席の大人の金額を1,500円から2,000円と、500円値上げした。


第25回(2007年・平成19年)9月1日(土)
雨天の中での開催。
エルシーブFM769(76.9MHz)「花火ラジオ」にて大会当日の花火打ち上げ情報、駐車場情報などの生放送を開始。
NHK大河ドラマ「風林火山」のヒロイン、由布姫をイメージしたり、猫の顔をかたどったものなどさまざま。クラシックや最近のヒット曲に乗せ、アイデアの花を夜空に咲かせた。また、大会の発展に尽力し、今年3月にご逝去された前諏訪市観光協会会長 河西保美氏に捧げる花火「天の声・天の菊」も打ち上げられた。観客動員数は約31万人。


第26回(2008年・平成20年)9月6日(土)
大会当日の昼間には東京のコミュニティーFM局「エフエム世田谷」の人気音楽番組『あの頃青春グラフティ』がエルシーブイFM769のスタジオから生放送。
観客動員数31万人。表彰式あたりから天候は雨に変わった。


第27回(2009年・平成21年)9月5日(土)
世界的な不況により花火大会の開催が心配されたが、大会の企業などからの協賛金総額2,229万円となる。打ち上げ発数は例年並みの1万7,000発で全国の若手から選抜された27名の煙火師が参加。マンネリ化解消のため、競技花火が従来の10号玉2発、5号玉5発の計7発から、10号玉2発、2.5号玉15発の計17発に変更された。観客動員数30万人。また、初めてローソンチケットへの委託販売が実施された。


 
 

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